8月23日 (金)  仮設道路

昨日まで4日間の「森の学校」が終わりました。
山を歩いて川で遊んで、けっこう勉強の時間も多くて・・。
でも、帰る時には友達同士、「冬の教室にも来ようね」と言ってます。
子供達から元気の「気」を貰うつもりでしたが、どうも吸い取られたようで、昨夜は爆睡でした。
かわいい子供達の元気な活動は、追って「森の学校」で報告します。

さて、一ヶ月チョイ通行止だった宮ヶ瀬方面ですが、先週に通行止が解除されました。
今日は道路のゴミ掃除がてら、仮設道路を見に行きました。
長いH鋼を橋桁にして、もしかしたら石積以上に頑丈かも知れません。
橋の上から見ると、大きな重機が動いてました。
その光景を見ながら、45年以上昔に、トラックで開田高原に行った時を思い出しました。
9月末だったか、道路が大雨で崩れた後でしたが、路面の3分の2ほどが残り、そこをクルマ(・・と言っても、当時はほとんどが深夜便のトラックのみ)が交互通行してました。
その頃の田舎の道路では土建屋さんの作業員が交通誘導、ガードマンの出現はコッチでも後の話しです。
私の前のトラックの運ちゃんが、「通れるんか?、大丈夫か?」と、作業員に聞いてます。
作業員は「前の大型(トラック)は通った」と言うだけ。
私は、そのトラックに「お先に・・」と言って、すり抜けましたが、ゴ〜ゴ〜と唸りをあげる濁流の横を通るのは正直ビビリましたが、迂回路なんてありません。結局、そのトラックも私の後ろを付いてきました。
いまなら全面通行止が当たり前でしょうが、戻って遠回りする必要がありませんから、有る意味、いい時代でした。
・ ・とは言っても、落っこちて濁流に呑まれても、「勝手に走った・・」と言われるだけ、まあ、いい加減な時代でもありました。
そう言えば、トラックで大阪に通っている時にR246のバイパスを造っていた。東名も工事中で、迂回路の一部は酒匂川の河川敷だった。
真っ暗闇の川原を、大きなトラックが時速5k〜10kで、右に左に傾きながら走っていました。
いまじゃまず、簡易舗装でしょう。
こんな山の中でも立派な仮設、いい時代になりました。

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