2月21日 (火) 築地でバイト。 豊洲か築地かと、古狸と女狐の喧嘩を見て、昔むかしの築地のバイトを思い出しました。 長いから飽きたら寝てください。 いまから55年前の高校一年の冬。 冬休みの学校推薦のアルバイト先が公表された。 当時は、大卒初任給が12,000円くらいだったか・・。 それが、なんと、5日で10,000円のアルバイトだ!、それも場所は「花の東京」。 その上、宿舎はもちろん、交通費も出る。 さらに4食付き。 東京オリンピック前夜だったと記憶する。 貧乏な我が家の家計の足しになれば・・等とは思わないが、とにかく「すげ〜!」の一言だ。 私を含めて、同じクラスから3人が手を挙げた。 同学年から20人ほどが手を挙げたと思う。 一学年150人弱の高校なので、かなりの率だ。 「東京は、オリンピックで土方の手が足りないって言うから、タコ部屋じゃね〜の」・・と、心配する友人もいたが、学校の推薦なら、タコ部屋でも質はいいだろう。 修学旅行の下見のような夜行列車。「ういの〜、ういの〜」とアナウンスする上野駅に着くと、迎えの社員が来ていた。 その会社で働く先輩も一緒で、「遠くから、よ〜来たの〜」と歓迎してくれた。 会社は「紀文」。働く場所は「築地」だった。 寝泊りする宿舎は「築地本願寺」。 100人分以上の布団が、ズラーっと、整然と敷かれている。 竹刀を持った社員が、「あっちから、ここまでの布団は○○大学」「その布団からあの布団までは××高校」。 それぞれの監督責任者は「俺だ」「私だ」「こいつだ」と自己紹介。 そして、「お〜い高校生。お前ら煙草を吸う時はココで吸え。ここなら許可する。ここ以外で吸ったら張り倒す。 外で吸ったら庭が汚れる。この寺を燃やしたら会社が潰れる。」etc。 「夕飯を食ったら寝ろ!、起床は2時半!。外へ飲みに行ってもいいが、2時半には起きろ!。」 食事は場内食堂で、何を食べても構わない。 美味しくて二人分くらい食べてしまった。 夕食を食べて風呂に入って宿舎に戻ると、もう寝てる人が居る。 広くて天井の高い本堂の中は、端っこでブスブス燃える石油ストーブ暖房など無きに等しい。それにストーブの周りは、社員が仕事の打ち合わせをしているので、入り込んだら張り倒されそうだ。 暖かくなるには寝るしかない。 汽車の長旅から、すぐに寝たようだ。 けたたましい起床の合図に飛び起きると、洗面所に駆け足。 もたもたしていると、洗面所は満杯で洗顔する時間が無くなる。 後ろの友人に蹴られながら洗顔し着替え、外へ出た。 星空の下、10tトラックが大挙して並んでいる。 当時は保冷車がない時代。 トラックの荷台はゴムシートで覆われている。 社員の班長が「いいか、良く聞け。このトラックの荷物をすべて4時までに片づける。 一分一秒を争う仕事だ。隣のハマトウに負けるな!。掛かれー!」。 高校一年生と言え、ココに来たら特別扱いはない。 モタモタしてると弾き飛ばされる。 手鍵の柄ではたかれる。 「自分が転んでも荷物は落とすな」と言われた。 でも、「おい高校生、3箱でいい・・無理はするな・・」と、優しい。 しかし、そう言われると無理をしたくなる。 友達も4箱5箱と大人と一緒だ。 休憩なしの駆け足で、空がしら〜っと明るさを感じる頃、「終了!、ご苦労さん。飯を食べに行ってこい。」 朝食を食べている間も市場は動いている。班長も働いている。 「お〜い、高校生さん。あっち手伝って」と言われ、今度は配送の仕分けに積み出し。 小さなトラックで、デパートや魚屋さんに配達するのだろう。 ココでも保冷車のない時代。 班長が、出て行く運転手に「飛ばせー!。信号なんて無視していい。ただし築地管内だぞ。そこから先で捕まったら、知らね〜ぞ。」と檄を飛ばす。 「信号無視しても捕まらんの?」と聞くと、「年末に市場の人間を捕まえてみ〜、物流が止まる。正月の食卓にお節が並ばんぞ。そんなケチな人間は築地じゃ生きていけん。」と一言。 妙に納得してしまった。 3日目の夜、捕まらない理由がもう一つ解ったが、「死んでも言うてはならん。」と言われた。 でも、死んでも言うてはならん・・と言う作業にバイトの高校生を充てるところは、いま考えると、とてもおかしい。 その代わり、死んでも言うてはならんの翌日。 仕事が終わって小休止していると、「お〜い、××、○○、」と、私を含めて4人が呼ばれた。「お前ら、頑張っているから一生に一度の仕事をさせてやる。」と班長に言われました。 それに、特別の褒美もやる。 ・・と、特別な褒美に魅かれ、4人全員が手を挙げると、別室に連れて行かれました。 そこで、ゴム長や合羽の作業着を脱がされ、真っ白な服に着替えさせられました。 おまけに白い帽子にマスクまで。すべて新品です。 なんか料理でもさせられるのかな〜と思いながら、その格好で、班長の後を付いて行くと、「いいか、これは天皇陛下様がお召上がりになるものだ。一人一箱。両手で支えて目より下へ下げるな。絶対に息を吹きかけちゃならん。」 と、きつくきつく言われ。パトカーが先導するクルマに載せました。 たった5分くらいでしたが、パトカーが出て行くと、段重ねのトロ箱を担ぐより疲れました。 いま考えると、私たちは頭の上で荷物を運んでいるのに、パトカーのお巡りさんは、寒いのか、乗ったままでした。 ご褒美は「恩賜のたばこ」でした。 高校生に煙草?と思いましたが、「お前バカだな〜、お前じゃね〜よ。親に持って行くんだ。」と言われ、これも納得。 友達は言われた通り「親にお土産にする」といってカバンに入れ、私の貰った煙草を吸っていました。 市場の中を自転車が走る、リヤカーが走る、荷台だけのトロッコみたいな小型トラックが走る、そして人も走る。 最後の夜、「お前ら良く働いたから、銀座へ飲みに連れて行ってやる。」 全員、歓声を上げたが、行った先は有楽町のガード下のバー。 「班長、銀座は。」「ココが銀座だ。高い店に行きたかったら、自分で稼ぐようになってから行け。お前らなら、いつでも採用してやる。2年経ったらウチへ来い!。」 バイト料は高額だったけど、ついでに勧誘もされてしまった。 止まった時間の中で働いているような、とてつもなく慌ただしく、短い期間だったが、築地は楽しかった。 学生服の内ポケットに入れたバイト料を、何回も確かめてはニンマリしていた。 |