6月13日 (火)  「丹沢と学生達と古希」

20年〜40年前に、毎日毎週のように我が家で飲んだ暮れてた学生達が大挙集まりました。麻布大学動物研究会の面々。
集まるテーマは、私の古希の祝いとか・・。
と、言われても、還暦過ぎて、更に年寄の祝いと思えば、あまり嬉しくもありません。
そのついでにOB会と言うので、もしかしたら私の古希は付け足しかも知れません。
しかし、集まった元学生達が、「卒業以来だな〜・・」と話すのを見て、皆が集まる理由になるなら、それも良しと納得しました。

古希パーテイーの最初は、何故かケーキカット。
お金のなかった私等夫婦。結婚式でケーキカットがなかった事を知っていたかのよう。
チョッとてれたけど、うれしかったね。
その上、お祝い金まで頂いた。

「横を見て白髪とシワクチャでも、気分だけは20代に戻っちゃうのが、同窓会同期会の恐いところだ。オメ〜ら、歳を考えて飲め!。」と挨拶がてらの注意だったが、誰〜れも聞いてない。そして、すぐに大宴会。
北海道から岡山まで、卒業以来なら話も尽きないだろう。
結局、ほとんどが明け方まで飲んでいたようだ。

誰かが持ってきた古い写真がある。川原や林道で寝転がる学生たちの背景に、尾根に向かって広大な伐採地が続く。丹沢に野生シカが増えた要因が良く解る。
あの頃、シカは箒で掃くほど多かった。しかし、この20年、話題のヤマヒルはいなかった。
みんな、山の中をゴム草履(便サルやビーチサンダル)や、踵を踏みつぶしたスニーカーで歩いていた。ちゃんとした登山靴を履いているのは一部の学生だった。
山の中、ダニはたくさん居たが、川原や経路でゴロ寝してもヒルなんて居なかった。
ヒルが増えた原因は「シカだ!」。と言ったヒル研究者を自任する人がいたが、ヒルと同じで、突然、結果を持って出現した研究者だ(私の推測)。
シカが最も多かった昭和40年代〜50年代に、なぜヤマヒルはいなかったのか・・と、何度質問しても応えはなかった。
フリーペーパーやSNSで美味しいものを食べ歩く現代人は、研究者から、ヒル=シカと言われ、疑う事なく信じてしまう。
理由は定かではないが、研究者の狙いはシカ悪者説だ、「シカじゃね〜よ、ヒ〜ルが増えたのは宮ヶ瀬ダムだ。それを広げたのは人間だ。」・・と指摘していたのは地元のハンター達だ(詳細は丹沢だよりに掲載済み)。
都会のハンターは知らないが、地元の猟師さんは、ヒルの拡散原因を最初から解っていた。
話は上手く作られていく。それをテレビや新聞がおもしろおかしく取り上げ、かくして何も知らない庶民は、簡単に信じてしまう。つくられたヒル騒動は、いまの政治と一緒だ。
朝まで飲んでいた元学生たちは、その足で、昔なつかしの野生シカ観察定点へ。
女郎沢、押出沢、金林沢、そして長尾尾根・・と。
ヤマヒルの餌が歩いているような、胸元パックリ腕丸出しの元♀学生もいて、その格好で行くのか・・と驚いたが、ヒル被害は一人もなし。
現役に戻ったかのような元学生たちの勢いに、ヒルもひれ伏したような一日でした。

1)ポルシェの頭金にと大枚を頂いた。
現物を持って来い。
2)何故かケーキカット。初めての経験。
3)還暦過ぎの元学生はギャラリー。
・・にしても元気な中高年でした。

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