6月15日 (金)  おのぼりさんの東京報告。

今日の最高気温14℃。
明日はもっと寒いとか、、薪ストーブの出番かな。
先日、久しぶりに花の東京へ行ってきました。

出かけるなら甲信越か東北の、それも「山」がいいのですが、遊びは遊び、仕事は仕事。
会合があり都内へ出かけました。

まずは八重洲。
予想通り地下街で迷子に。
時間は丁度お昼時、でもどこの店も長蛇の列。
並んでいる人はサラリーマンと言うより観光客みたい。
食堂街を行ったり来たり・・、そこで一番空いているパスタ屋でランチ。

山で道迷いしても、食事したりコーヒータイムを取ると落ち着き、目標を確定出来ますが都会では無理みたい。
見るからに昼食帰りのサラリーマンを見つけて道を訪ねると「私の行動範囲じゃないな、でもチョッと待って・・」と取り出したのはスマホ。
私の行きたいビルを地図検索、ものの数十秒。
御礼を言って一瞬!・・オラもガラケイからスマホにしようかな〜・・と。

八重洲の次は新宿の小田急へ。
この辺りに来たのは高層ビル数本が最後の頃だから、相当前だ。

最近の新宿はJRか丸の内線の乗り継ぎだけ、改札から出たのは半世紀ぶりに近い。
小田急本社・・って、どこだっけ。
結局、明治安田の前に立っていた警備員のオジサンに聞きました。
「そこ、左に曲がって階段を登ったところ」。
「へ〜、小田急なのに地下通路、通じてないんだ」。

その昔・・と言っても「その頃」、小田急デパートが丹沢展を開催。
「ヤマメとイワナを欲しいけど・・無理だよね」と無理な注文。

オヤジの「持って行きなさい」の鶴の一声でヤマメ&イワナ10尾ずつ計20尾。
秦野ICのない時代、厚木ICから東名へ、2 tトラックで運びました。
300kg(2000尾〜3000尾)運ぶ水槽に20尾入れて酸素を送りながら目指すは新宿西口。
いま思えば、徳川将軍への献上品みたい。

環八から水道道路を通って甲州街道へ。ところが甲州街道がメチャ込。
左折するタクシーを追いかけて行くとナンと砂利道、砂埃もうもう。
出た場所は十二所。丹沢から新宿、初めて覚えた抜け道でした。
ところで魚を摘んだ2 tトラック、どこへ停めたらいいのだろう。
ケータイのない時代、公衆電話を見つけて聞いてみると、「どこへ停めてもいい」。

どこでもいい・・って、それに水を入れた大きなバケツに魚を入れて、エレベーターで昇れるのかい。
電話の向こうは「だいじょうぶだ」・・だって。
ナニを聞いても「だいじょうぶ」。
駐車も魚運びも、すっご〜く不安ですけど。

催しはデパート9Fだったか・・「この日のために特別に作った・・」と言う大型水槽の中で丹沢のお魚は元気に泳いでいました。
みんなが動き回る中で、ナニもしない偉そうな人が、「丹沢からここまで来た魚だ!最終日まで絶対に殺すな、終わったら君達に焼いてやる。」と、笑うような訓示をしてました。
空気抜きみたいな巨大な筒、その向こうに京王プラザ。
無事、任務完了。
小田急へ行って思い出した。
あの頃なら道迷いはしなかった。
いま、様変わり、新宿は言葉の通じない外国見たい・・でした。