6月9日 (月)  月曜日

秦野の町へ行ってきました。
清川村や厚木へも行く用事がありましたが、
歯が痛くて、痛くて、歯医者へ行きました。気温が低いのに、クルマを降りたら、ムヲ〜ッとする蒸し暑さ。用事は全〜部忘れて山へ帰ってきました。

山へ戻ると、森の家で、お母さんと子供たちが工作をしていました。
解説や指導者は今年から働いている女の子。
子供たちの完成品は、けっこうの出来栄えでした。
みんなが帰った後、「よく、できたじゃん」と言うと、急に涙いっぱいで、「私、何もできないんですよ、子供達に教えてもらうくらいです」と言って、泣き出してしまいました。
「感動」「感動」と言っては、すぐ泣く子なので、「まったくお前はビ〜ビ〜よく泣くな」と言うと、余計泣いてしまいました。
でも、最近は、多少聞きかじったくらいで、その道のプロになっちゃう子が多く。
大人でもそう感じる人を多く見ます。
そんな中で、「自分を解かっている」のは立派なもんだ。
私も見習おう。

ところで、一昨日書いた「金がなきゃ造るな」の「2本目の東名はいらない」の「道路」問題。

少々真面目に補足すれば、神奈川は横に走る道路は「もういらない」と、考える。
それより、想定される大災害を考えたら、縦の道を整備する必要を感じます。
大災害になれば、当然、物資輸送はクルマ頼りになり、輸送も人も自衛隊のお世話になるでしょう。
しかし、神奈川は、間違いなく孤立します。
北からの応援は東京止まり。静岡もハチャメチャになれば、西から応援が来るはずがない。
神奈川は海が開いているといえ、米軍の世話にはなりたくないし。
129号1本じゃあ、心もとない限りです。
物の順序から言えば、第2東名の前に考える道路じゃないかな・・。
昔〜し、新潟で地震に遭遇した時、西からの救援は国道8号1本だけ、自衛隊の車列が延々と続いていた。
あれを思い出したら、一番ケツのクルマが着いた頃は、焼け野原になってるかも知れない。

いずれにしても、丹沢に住んでいる私には救援の手はないだろうナ。
まあ、水はタップリあるので、米・味噌・醤油を備蓄して、その辺の葉っぱ食って生き延びる事を考えよう。
3年も経てば、「そう言や〜、山ん中に誰かいたな〜」と、気づく人に期待して。