3月31日 (日)  悲しい春・羽生田追悼

恒例の楽しい「森の学校」二日目の朝の事です。神奈川パークレンジャーとして、また、協会員として、丹沢で活躍する羽生田が、北アルプス鹿島槍で遭難し、亡くなった事を、保全センターからの知らせで知りました。
家族も朝のTVニュースで知り、子供達の手前、そっと報告してくれました。結婚生活わずかな時間の短い生涯でした。
私が羽生田に声を掛けた最初は、炭焼き窯の中だったと思う。私と同じ健康色の地黒の顔に炭がついて更に真っ黒。真っ暗で狭い炭窯の中、側に居るのに、何処に居るのか解りません。初対面のため(・・だったと思う)、名前を知りません。
素材を手渡しする時に、「おい!、色白のね〜ちゃん」と声を掛けると、隣に居た人に「中村さん、それってセクハラですよ」と、真面目な顔して言われました。
その時の羽生田の返事は、「中村さんなら、ナニ言われてもいいです」と、やさしい気遣いでした。
そこで、初めて名前を覚え、会員である事も知りました。
巡視で、札掛方面へ来た時は、少し時間があれば必ず立ち寄り、状況報告をしてくれます。
「お茶してったら・・」と声を掛けても、山から降りてくれば、いつも夕方、トイレ休憩のみで急いで帰ります。
先月、登山道巡視の帰りに、少し時間があるからと、同僚レンジャーの石川さんと二人で立ち寄りました。
前の週の寒い日に外で食事をしていたので、「震えながらお弁当を食べるより、ここへ来ればいいだろう。お茶や味噌汁くらいいつでもあるんだから・・。」と言うと、「来る度にお茶やお菓子をご馳走になると、あまり図々しくするな・・と注意される。」と言います。お茶とお菓子をご馳走しながら、「そうか。まあ解らなくないけどナ・・、でも、頭の固い上司だな〜・・。そうだ、それなら、お客さんになればいいじゃないか。うちは山小屋みたいなもんだし、休憩料金払えばいい。ハイ、50円。」と言うと二人でケラケラ笑っていました。
私のような年寄りなら、今日、急逝しても、それはものの順序です。
それぞれの人に神様が与えた時間といえ、結婚生活も僅かな羽生田の37年はあまりにも短い。
若い人が先に逝くたびに、時として神様も意地悪と思う。
予想もしない悲しい知らせは、あまりにも突然で、いまだ実感がなく、今日も、「道也さ〜ん・・」と、玄関から巡視報告の元気な声が聞こえてくるようだ。

写真は、昨年の秋、大山北尾根での協会主催の植樹活動で、昼食時に、参加者に解説する5班の解説リーダーの羽生田。
真ん中の赤いパーカーで、右腕に資料を抱えている女性です。

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