2月25日 (日) かなり長〜い日記です。覚悟して。 我が家に猫が二匹いる。 名前はグ〜太とニャンコ。♂と♀の兄妹だ。 ただし、ノラなのでどちらが上か定かじゃないが保護された経緯から「きょうだい」である事は間違いない。 ただし今日(2月19日)現在では「いた」と言う表現になる。 グ〜太とニャンコが我が家に来たのは今から6年前の11月6日だ。 それまで我が家には歴代ノリとカボチャと呼ぶ犬がいた。 ノリは18年、カボチャも15年私達と一緒に生活した。 中でもノリは人の言葉を正確に理解し、時間も解り、人の心も読む(ただし、いま流行りの忖度ではない)。 ノリは娘が産まれる前に我が家に来た4番目の家族ゆえに我が家族では序列4位。 常に娘の上に座っていた。 カボチャは県内の〇〇高校の校庭に捨てられた犬の子供。 その高校の先生が貰い手を探すと言うので、5匹の中で一番不細工な♀を貰った。 ノリが亡くなって2年後だ。 カボチャと言う名前はカボチャが来る前から決まっていたが、ここを書くと長くなるので割愛。 先生いわく、「道也さんが不細工を貰ってくれたおかげで全部貰い手が付いた」・・と喜んでいました。 でも、この不細工な犬。「お前は可愛い。お前は可愛い。」と、毎日抱きしめていたらホントに可愛くなりました。 ワンコといえ18年&15年一緒に生活するのですから人間家族同様です。 まして、話すことへの反応は女房や息子・娘以上です。 たぶん、女房もそう思っているでしょう。 カボチャが癌でなくなってから私達の年齢も考え、もう犬(生き物)を飼うのはやめよう・・と言いました。 2011年3月、東北の地震はその後の未曽有の津波、追い打ちを掛けるように原発の爆発が発生した。 当たり前のことであり仕方ない事でもあるが、人は我が身を守るだけで必死です。 以前もこの欄に書きましたが、震災と津波に襲われ、いまだ母親が見つからない知人が、「地震や津波はまだいい。いつか元に戻る。でも原発は戻れね〜。」と言ってたのを思い出します。 便利と言われ続けて来た(言わされてきた)見返りは 日本列島から人が住めない、利用も出来ない土地を造り出しました。 爆発のあった原発立地周辺では、津波にさらわれた「人」はもちろんのこと、家畜や多くの犬や猫が見捨てられ、生きている「人」達も故郷を追われました。 言い方は適切でないかも知れませんが、取り敢えず「人」は「食」と「住」が提供されます。しかし、「人」以外の動物は哀れです。ことに原発爆発事故による地域の動物は、その日から生活のすべてを奪われたと言えます。 しかも「人」と決定的に違うのは生きるための「手助け」がまったくない事です。 地震や津波などは災害と言え自然の摂理でもある。 時間の経過により土地の復興も経済の復興も可能だ。悲しみも癒える時が来る。 しかし原発爆発と言う人為的悪魔の所業は、汚染は続いても絶対と言えるほどに回復はない。 震災猫の里親探しを目にした女房が猫を飼いたい・・と言った。 仮里親に連れられ丹沢に来た2匹。 産まれて半年は、まさに震災直後の誕生だ。 ミャ〜ミャ〜と鳴いてばかりの♀をニャンコ 初めて来た家なのにグテ〜っと寝てばかりの♂をグ〜太と名付けました。 これまでのノリやカボチャと同じように同室同居、同布団だ。 泥足で布団に駆けあがるのも同様。 庭でモグラを捕まえる。空を飛ぶ鳥を見ては威嚇する。時としてベッドの下に足先や手羽先が散乱してる時もある。 そんな猫一倍元気なグ〜太だったが、一昨年、後ろ足の付け根に潰瘍ができた。 こんな山の中まで呼びつけられる獣医もたまったもんじゃなかったろうが、潰瘍は悪化の一途だった。 注射も薬も受け付けず、まさに薬石効なくグ〜太が死んだ。 でも、ノリやカボチャの時と違う、言いようのない悲しさがある。 グ~太の産まれを思い、庭に埋葬の穴を掘りながら涙が止まらなかった。 もし地震がなかったら、もし原発の爆発がなかったら。 グ〜太は宮城か福島のどこかで、元々の飼い主と楽しい生活を送っていたはずだ。 畑や田んぼが広がるお家の周りを元気に駆け回っていたかも知れない。 海の近くのお家で、潮風にお鼻をぴくぴくさせながら浜を駆け回っていたかも知れない。 東北の、どんな家族の中にいたのだろうか。など、いろいろと考えてしまう。 東北から東京の仮里親を経て神奈川の山の中へ。 ニャンコやグ~太の長い道のりを思うとき、丹沢に来て幸せだったのかな・・と思う。 理屈をコネて原発事故の回復を言う人は、責任を回避したい政治家や電力会社だけだ。 そういう人達の家に原発猫(犬)や震災猫(犬)はいないと思う。 原発がなければ安定した経済成長が望めないとか、とにかく原発がなきゃ困る・・というが困る人は、それで儲ける経団連や原発マネーに頼る政治家&立地地域の首長達だけじゃないのか。 いま、原発電力がなくても東京横浜の生活に変化はない。私達はまったく困らない。 僅か6年前の悲惨な事故を忘れ、原発事故当事国が再稼働に躍起になる姿はまったく理解できない。滑稽ですらある。 70pほどの深さの穴に、女房がつくった新しいタオルで包んだグ~太を寝かせた。 夜に庭に出たニャンコがグ~太を埋めた土の表面を何回も掘りかえしていた。 女房が、ニャンコも解っているのかな?と言う。 私は、土が柔らかいから掻き回しているだけだよ・・と言いましたが、ニャンコはしばらく、その上に座っていました。 お金儲けに目が眩んだ人達が必死になる原発再稼働は、再び悲惨な事故を起こす可能性がある事です。 グ~太やニャンコの生き様は、物忘れの早い私達への警鐘に思います。 「写真解説」 震災猫じゃ可哀そう。すぐに名前を付けました。 丹沢一週間目、布団からなかなか出て来ません。 起きてこい!ニャだ。 初めての冬。丹沢にも雪が積もりました。 ニャン子とグ〜太の丹沢での生活が始まりました。 |