11月30日 (木)  戦争を知らない子供たち

今年も11月、アッと言う間に一年が終わりそうだ。
ニュースは世界中が悲惨な出来事ばかり、犠牲者はいつも女性や子供。
普通の市民だ。

戦争は環境の最大の破壊者、福祉や教育の否定。
私は戦争を知らない「戦後っ子」。団塊世代です。ただ、24時間お腹を空かしていた記憶だけは鮮明に残っています・・と言うことで以下、ご容赦を。
                 
「戦争を知らない子供たち」杉田二郎の歌(だったと思う)。
「戦争が終わって僕らは生まれた。戦争を知らずに僕らは育った」で、始まる。
最後は「僕らの名前を覚えて欲しい・・戦争を知らない子供たち」で終わる。

二十代前後に初めてこの歌を聞いた時、なんと軟弱な・・と感じたものだ。
しかし、いま、時間を重ね、いまの世界を見渡し、この歌の歌詞の大切さと重みを感じている。
                    
明治維新以降、日清、日露と戦争を続けていた日本は、国力を顧みず朝鮮半島や中国、東南アジアを侵略し、米欧を相手に戦争を始めた。
その結果は、広島、長崎の原爆はもちろん、主だった都市のほとんどが焼き尽くされ、国民を犠牲にし、国土を焦土とした敗戦だった。

300万人を超える戦死者を挙げるまでもなく、鬼畜と叫んだアメリカやイギリスに完膚なきまでに叩き潰され、徹底的に負けた。
その時に国民は初めて、それまで何のために戦争をしてきたのか、そこに至る経緯や歴史を改めて考えるようになったと思う。

昭和20年8月の敗戦を機に、日本はそれまでの軍国主義から一転、民主主義国家を目指し、国家間の物事を武力で解決すると言う手段を放棄した。

憲法第九条、戦争の放棄。
日本国憲法の骨子だ。

憲法成立に至る様々な背景があるにせよ、戦争という思想や手段をもたない考えは、戦後78年、この国の最も大切な財産になり、日本の国家としての柱になっている。

いま、世界各地に見る国家間の戦争、国内の部族間対立などの紛争や暴力をニュースで見る時、生まれてから今日に至る平和な時間に居ることが不思議にすら思えてしまう。

米国の傘と言う人も居るが、そこはウインウインだ。日本にかかる傘は米国の利益でもある。
更に言えば米国の傘に頼らずとも、日本の憲法こそ次の世代に引き継ぎ、世界に広める努力が私達にも政治家にも必要ではないか。

少々ポンクラな政治家が居ても、この国の憲法に基づいた国家の在り方は与野党を超えた大半の政治家に共通する考えだったと思う。
・・だった・・と言うのは、最近はチョッと怪しくなったからだ。

物事を深くどころか、浅くも考えない政治家が与野党問わず増えている。
つい最近の事だが、「憲法で縛りがあり、戦争は出来ない」。・・が、やろうと思えば出来る国を目指した総理大臣がいた。その政治家を支持したのは結果として私たち国民である。
我が家の成り立ちはこれまでにも掻い摘み掲載してあるので省略するが、私が若い頃、我が家には様々な人が来ていた。

両親共に戦前から反戦平和主義だったが、お客様の中には何故か旧陸海軍関係の方も多くいた。これも以前に書いたが、私に「戦(いくさ)はいかん」・・と、いつも話してくれた自衛隊高官や、後に参議員になった真珠湾攻撃の作戦参謀源田実各氏は戦争最前線の体験者だ。その方々でさえ共通するところは、日本は「戦争が出来ん国」だ。少し変わったところでは旧海軍の児玉機関総帥、児玉誉士男氏もいた。

詳細は省略するが、我が家に来れば、学生も登山者も肩書のある人も、すべてが同じお客様だ。様々な方々とのお付き合いは様々な事を学ぶ機会になった(・・と思っている)。

歳を重ねたこともあるだろうが、振り返って今の日本。最も危惧するところは政治の劣化、軽さである。しかし、その軽い政治家を選んでいるのが、私たち国民と思えば、すべての責任は私たちに帰結する。

国家として究極の理想である戦争の放棄という憲法の精神が引き継がれるのか、まさに私たちが試されている。
その努力がなくなった時、100年前の自己過信、自信過剰に満ちた国家に逆戻りするように思う。
口だけ威勢のいい政治家が多くなり、他国の紛争を取りあげ、対抗するために軍備の増強を叫ぶ人達がいる。
一発の銃声が百発の銃声を招いた過去を教訓にしない人達だ。

総理大臣が国会で嘘を言い、官僚が後に発言内容を改竄し、あるいは削除破棄する。

私たちの次の世代は本当の事を知らずに、この国の歴史を学ぶ。

子どもの頃、食べ物がなく、いつもお腹が空いていたが、その中で私たちは平和と民主主義を学んだ。国民に誠実な政治を求めるために、私たちは常に政治に関心を持ち、誠実な政治家を選ばなければならない。
「戦争を知らない子供たち」が永遠に続くために。