Diary 2017. 10
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10月30日 (月)  台風一過

先週も台風一過で、久しぶり・・って喜んだけど。今週も台風で、いささかウンザリ。

でも、雨もそれほどじゃなく風もなし。
それでも川の水量は半端じゃありません。

昨日来たカナダ人、奥さんが娘の友人。
晩御飯にニジマス2尾とヤマメを1尾釣ってきました。
もし釣りに来たい・・と思ってる人。
かなり構えて来て下さいね。

夜間、通行止めになった道路は朝方に全線開通しました。
ただし路面には落ち葉が積もってる場所もあります。
ブレーキは早めに、速度は控えめに。
自転車の人はクルマ以上に要注意!。

養魚場のイワナも産気づいてきました。
採卵も去年より10日くらい早そうです。
今日は孵化箱を用意したり、腰が痛くなる仕事ばかりでした。

台風一過。
お月様が綺麗です。


10月23日 (月)  台風21号。

久しぶりに凄え〜雨だった。
還暦新井とチョッと若いのと、うんと若いのが3人、養魚場で寝ずの番。

私は有り難くリタイア。
ところが夜中に、物凄い音と共に風が侵入。
どこかの窓ガラスが割れたか・・と思ったら、娘のお菓子工房のドアに鍵が掛かっていなかった。
風で煽られたドアは取り敢えず無事。

養魚場までの林道は舗装工事中のため、道路全体が流路になっている。
おまけに途中が土砂崩れで通行不能。

養魚場の取り入れ口は砂利の山。
これを取り除くのは大変そうだ。
それでも寝ずの番のお陰で「お魚」は無事。

ただし、この水量、2〜3日経たないと水が引きそうにない。


10月19日 (木)  寒ぶ・・!

ついにストーブ。
寒いのは柔になった歳のせいか・・と思うけど、天気予報でも、××十年ぶりとか言ってます。

我慢することもなし。・・で、今年初の火入れ。
ついでに懐も暖かくならないかな〜。

ピアノも15年ぶりに修復。
これも誰かを待っています。
facebookにも書いたけど、私にも弾ける「ネコふんじゃった」じゃないのを演奏してくれる人。


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10月15日 (日)  「総選挙」

大義があろうとなかろうと、米国のトランプ、北朝鮮の金と並び立つ世界の3巨頭、日本の総理の意思で解散&選挙になった。

ところが、政権交代とは言わないまでも、意見を物申す・・くらい肉薄すると思っていた最大野党。
オッチョコチョイの代表が、与党補完野党代表の「緑の狸」に転がされ、物申すどころか、80年前くらいの翼賛政治に逆戻りの悪夢になりそうだった。

モリとカケを頼んだら、タヌキとキツネが出て来た・・。
注文してないぞ!。
私の一票の行どころがなくなった。

選挙権を持ってからズ〜〜っと自民党。
小渕内閣から、入れる政党がなくなった。
かと言って、棄権は危険に繋がるし・・。
・・で、自民党の次に嫌いな共産党しか選択肢がなく・・、民主党が出来て喜んだのも束の間。
しかし今回、土俵際で踏ん張った政治家が出た。
「吉」と出るかは判らないが、すでに存在する与党のように「凶」にはならんだろう。
以前、明日枯れるかも知れない「立ち枯れ日本」なんて政党もあったけど、他に選択肢がない今では立憲に期待するしかない。

民主党が政権与党の6年前、福島原発の事故で「ただちに影響はありません・・」がいまだ耳に残っているけど、あの原発事故は、たまたまその時点で民主党が政権与党だっただけ。
事故の原因は元々原発を推進してきた自民党と、その後連立を組み続けた自公政権にある。
更に、事故から遡る5~6年前だったか、防潮堤は「このくらいで良かんべ〜」と言ったのも自公政権だ。

まあ、いくらでも書きたいことはあるが、書きだすとキリがないので、ここまで。
我が選挙区、チンピラとポンクラでは選びようがない。

とにかく、私の一票が死に票にならないだけでも良かった。
出来れば、私の選挙区でも立憲民主の候補者が出て欲しかった。
ところで、ネット配信で小林よしのりや一水会の鈴木邦夫の演説を聞いた。
枝野と違ったところで歯切れはいいし共感するところもある。

この際、ギャラを払ってもいいから、あと一週間、応援演説を頼んだらどうだろう。
当選者、黙って10人増が期待出来そうだ。
ああ・・候補者がいないのか・・。
まあ、なんにしても今回の選挙、投票できることに感謝。
期日前に行って来よう。


10月14日 (土)  しばらく休んでいた「きまぐれ日記」の再開。

政治不信、政治鬱になった気持ちを切り替え、私の周りの「丹沢紹介」。
始めは「ヤビツ峠」編第一回。

最近は自転車で全国的に有名になった感のヤビツ峠。
先月、同志社の自転車部が来た。
「わざわざ京都から来るトコか」と言うと、「一度は来て見なきゃ」。
ヤビツ峠・・そんなに有名なんだ。

昔から関東岳人には、丹沢の登山口として知られた存在。
東京オリンピック以降、日本経済の成長と共に、海へ山へと人が繰り出し、東京横浜に近い丹沢は、週一休みの都会のサラリーマンには格好のレク場所になった。
丹沢が国定公園に指定され、登山者が飛躍的に増加。
渋沢駅から丹沢へ登る大倉口とヤビツ峠にバスが運行するようになった。
国民には自家用車が高「値」の花の時代、大倉は人も住み集落を形成していたが、バスの本数はヤビツ峠の方が多かった。
いかに登山者が多い時代だったか想像が出来ると思います。

さて、このヤビツ峠。正確には(古くは)「矢櫃峠」と言います。
その説明をする前に、周辺には「門戸口」「陣賀」「千人隠」などの地名もあります。
ヤビツ峠は甲斐の武田と小田原北条の最前線でした。
門戸口は簡易な関所。陣賀は勝ち戦の時に宴を模様する場所。
そう考えると「矢櫃峠」の地名は納得ですよね。
「千人隠」は海を熱望する甲斐武田のゲリラが潜んでいた場所。
しかし、千人も居たら、武器や食料の調達が出来ません。
推測するに、「三人」が言い伝えとして「千人」になったのでしょう。
三人、三人、三人と十回くらい言うと、いつの間にか千人になっちゃう。
まあ、言い伝えなどはその程度。

丹沢の麓の秦野市は当時、波田野と呼ばれ(こんな字だったか)、北条の出城(多分、名前だけの城)がありました。

武田のゲリラは田植え時、あるいは稲刈り時に波田野に出没しては攪乱戦法を取っていたのでしょう。
怪しまれずに集落へ入るのですから、もちろん手ぶら。
そこで火を点けたりして逃げ帰る時に、どこかで追っ手を防がなければいけません。
そうです、そこがヤビツ峠でした。
峠まで逃げ帰ったゲリラは隠してある櫃から矢を取出し。
迫る追っ手を峠の上から射ったのです。
現在のヤビツ峠から西へ直線で200mほどのところに旧ヤビツ峠があります。
いまのヤビツ峠は道路が開設されて、名前だけ引っ越したものです。
ちなみにヤビツ峠には「餓鬼」の話もあります。
そこは、また何時の日か・・。
ヤビツ峠の名前の由来、矢櫃峠。
ではまた。

写真は昭和27年頃のヤビツ峠第一暗渠を走る我が家の材木満載、その上に、ついでに人間が二人の5tトラック。当時は5tで超大型。

ヤビツ峠千人隠付近からの秦野市と小田原市。
あの海、欲しかったろうな・・武田信玄。
自分のものだけにしないで仲良くすりゃあよかったのにね。

今の時代、自転車乗りたいだけで、京都からヤビツ峠へ日帰り。いい時代だ。

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10月11日 (水)  道路情報

我が家に来る「境沢林道」の舗装工事が始まりました。
札掛橋の起点から、林道終点まで工事が入ります。

登山や釣りで利用する札掛橋近くの駐車場は、工事のため暫く使えません。
なお、舗装工事のため「路駐」も出来ません。
登山者の方は注意してください。

朝晩、涼しいを通り越して「秋」です。
今年は紅葉も早そうです。

ヤマメもイワナも婚姻色。
採卵も早そうです。





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