Diary 2022. 12
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12月31日 (土)  与党ファンの方はごめんなさい。

ニュースとは言えない程の今年のニュース
銃撃された元総理は、戦後、ヨチヨチと積み上げてきたこの国の民主主義をことごとく潰して来た人。

それを受け継いだ前総理は沖縄問題を問われ「生まれる前の事を言われてもワシャ知らん」と無責任を絵に書いたような総理大臣だった。

現総理は自民党の中でも良識派閥と言われた宏池会出身。
ダメ元で少しは期待したのだが、まったくの期待外れ。
聞くはずの耳に栓を詰めて登場では・・。
その上、元総理が遺した、国会議論を避け民意無視の、すべて閣議決定だけは受け継いでいる。

ご気楽な政治が10年以上続くと、政治はこんなもの・・と諦めてしまう。
そこが狙い目なんだろう。
国民もバカにされたもんだが、その政治家を選んだのが私たちじゃ文句も言えん。

山口県民や川崎市民や広島県民に責任を取ってほしいところだが、じゃあ、代わりに誰がいる?と見回せば、政治家不在のこの国だ。
銭と権力に寄る人達が作り上げた国家でもある。

それにしても日本の政治家がここまで考えなしの軽い集団とは思わなかった。
長距離ミサイルと言ったって、大枚はたいて購入するミサイルは、米国じゃ使い物にならない「お古」。
米国じゃ「飛んじゃいけないオスプレイ」を大量に買い込んだ元総理とおんなじだ。

それに単純な話し、1発撃ったら100発返って来る・・と気が使いなのか。
深く考えるまでもなく、この国を潰すには100発もいらない。
九州から北海道までの原発4基、4発のミサイルで沈む。
物事を深く考えない、威勢のいい自民党偽右翼政治家の放言で、ジ・エンドだ。
トマホークを100発持っても勝ち目はない。

以前、この日記に書いたが40年以上前、戦争体験のある自衛隊の高官から「いくさ(戦)は絶対やっちゃいかん・・わしらは「もしも」に備えているが、わしらを使ってはいかんのだ・・それが政治だ・・あんないくさ(戦)は二度とやっちゃいかん」と言われた。
近年の政治家と言葉の重みはまったく違う。

世界情勢は混沌とし、強い者の論理がまかり通っている。
こんな時代こそ、憲法9条の日本の出番の筈。
しかし、世界のリーダーシップたる姿勢は微塵もない。

最も胸襟を開くべき近い国とは、最も険悪な関係になっている感すらある。
沖縄の問題が一つも解決していないのに、〇〇島の地下に自衛隊の司令部をつくる・・とか。
80年前の住民を巻き添えにしても司令部は確保する・・。
いったい何を守るの?。

年末の3日間、丹沢の山の中で「森の学校」が開催された。
子供達は元気いっぱいだ。
この子達の中からは今のような政治家は出てこないと思う。
何故なら、みんな素直で良い子だから。

久しぶりの政治愚痴日記。
一年の締めくくりで書き出すと止まらないけど最後に一つ。
元総理銃撃の山上君もメデイア発信で知るだけだが、素直な子だったと思う。
たった1発で、自民党政治を世に知らしめた功績は大だ。
あれがなければ、萩生田はじめ、自民党はいまだ闇の中にいる。

来年こそ、良い年になるように・・と書いて10年以上経つ。
現総理の心変わりに、かすかな期待を持って、来年こそ。


12月27日 (火)  昨日のような40年前

丹沢の麓、伊勢原市に恵泉女学園(短期)がありました。
全寮制の女子大で、もちろん男子禁制。

閉鎖になって久しいのですが、建物の最終売却が決まった・・とか。
一周間ほど前に九州の卒業生からメールがありました。

厚木方面に出掛ける時は必ずと言えるほど通る道沿いです。
いいよいいよ・・と正門と教会の写真を撮ってきました。
もう少し奥まで入りたかったのですが、不審者通報されそうなので、その昔、お茶を頂いた建物までは行けませんでした。

職員でもなし、もちろん卒業生じゃないけど(当た前です)寄付はさせられるし。
でも、郵便配達とヤマト以外は男子禁制の寮に、お茶やトイレにお世話になりました。
男の先生から「僕たちも遠慮する場所へ、なんで中村さんは自由に入れるの」と聞かれたこともありました。

でも、最初から入れたので、理由は解りません。
クルマで正門や研修棟の前を通ると、女の子が飛び出て来て「いってらっしゃ〜い!」と手を振られた事もあります。
うれしかったな〜。

そうそう、もっと遡って恵泉という学校を知らなかった頃。
東名に秦野ICがない頃です。
もちろんナビもなかった時代、東名を厚木ICで降りて混んだ246号を避けての抜け道。

東京からの帰り、真っ暗闇の路上でいきなりライトの中に女の子。
驚いて停まったら「オジさん、花買って〜」とクルマに近づいて来た。
暗がりでも見れば可愛い若い娘たちが3人。
ただ、着てる服は泥の付いた作業着、履物は長靴。
夢を見ているようだった。

「このお花、私達が育てたの。そろそろ植え替えなの。」
「全部、捨てられちゃうの。ネッ!かわいそうでしょ。」
「だからオジサン、一本でもいいから買って〜・・買って飾って」・・と言われました。
値段を聞けば輪ゴムで止めた一束、「100円、50円、30円でもいい」・・と。
まとめ買いしたのは言うまでもありません。

恵泉の方々とお付き合いするようになり、その話をすると、「その頃なら・・あの子たちね」と数年前の卒業生を覚えていました。

剣スコや鍬を振り回し、一輪者を自在に操り、お揃いの作業着に長靴姿は、女子大と知るまでは「女子感化院」か?と思っていました。

その後、学生達に我が家のバイトをして貰ったり、「遠くから来ている子達が頻繁に帰省も出来ない・・どこか連れて行って欲しい」と言われ、ならば、まとめて・・と、マイクロバスで丹沢登山に連れて行ったり。

その頃の子達の中には「おばあちゃん」になった人も居ます。
改めて時間の流れの早さを感じています。
これを書いている時に、「伊勢原キャンパス」〜花一輪・・の案内状が届きました。
いくら当時は出入り自由でも、部外者。
不法侵入で写真を撮っといてよかった。

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12月18日 (日)  今年の総括、山歩き編

今年もそろそろ終わりですね。
時の流れの速さを実感しています。
 ここ暫くの「日記」のサボリは、この十数年、何を書いても、おバカさん達の政治批判になっちゃう政治鬱が原因でした。
昔〜し、「選挙になったら寝ててくれたらいい」と言った元総理がいましたが、まさにそれです。
期待できない政治と「諦め」の人間が多くなるのは日本の政治家には大歓迎なんだろう。
・・と、解っていても、久〜しぶりに書く、それも一年の締めくくりの日記。
つまんない話題は後にして、楽しい話題から。
今年もアチコチ歩き「け」ました。

歳を重ねてからの山歩きは平衡感覚を要しない山。
森や花がきれいな山。
登山口まで4時間以内の日帰りコース。
ついでに息切れしない楽チンな山。
・・となれば、かなり限られてくる。

3月は恒例になった春の花を探して西丹沢へ。
4月も同じく春を訪ねて三頭山。
5月には協会イベント「丹沢を歩く」の下見を兼ねて三ノ塔。
6月はガラになく鈴蘭求めて軟弱な入笠山。
  月末には念願の平標山。
7月は花の宝庫、木曽駒に霧ヶ峰。
9月は「エゾリンドウが見たい」の要望に応え6月に続き入笠山。
末には「登る山じゃないよ・・眺める山だ」と言ってた富士山へ初登山。
と言っても目指すは宝永山。
山頂には興味なし。
10月には、どうせなら・・と、もう一度富士山へと、須走の馬返しから五合目まで。
末には「一度でいいから金時山に登りたい」との要望に応えて、人生2回目の金時山。
11月たまには「裏山もいいもんだ・・」と、初旬に塔ヶ岳。
そして最近は何故か誕生日前後には丹沢山に登っている。
そう言えば、今年は八ヶ岳も尾瀬も、一度も歩かなかった。
楽しみは先延ばし・・と言うことで、来年のお楽しみ。
山に行く度にお世話になる人達に感謝。
来年もよろしく。

民意無視、憲法無視、議論無視の日本政治を抜きにすれば、今年も楽しい一年だった。
しかし、この国の舵取りを政治家に任せると、ささやかな山歩きの楽しみもなくなりそうだ。
なんとかならないのか?なんとかしなきゃ。

写真は6月の平標と7月の木曽駒、11月の塔ヶ岳

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