Diary 2011. 3
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3月19日 (土)  震災

震災津波、一週間目の今日、岩手の山田町の知人と連絡がつきました。
ただし、母親の安否が不明で捜索中との事、どこかの避難所でご無事でありますように。

昨日も書きましたが、春といえ、我が家は閑散としたもの、お客様の利用が見込まれない中で、「寄付は出来ないけど、被災者家族の受入れに手を挙げたいね」、と話しています。
ただ、こんな山の中で、ガソリンも無ければ、どうぞ安心していらっしゃい・・とも言えません。

今日はテレビで自衛隊の放水作業を見ました。
建物から20〜30mの近さでの作業とか・・。
作業を見ながら、もし爆発があったら・・と考えてしまいます。
それが使命といえ、感謝以外言葉がありません。
茨城の水戸駐屯地に知人が居ますが、恐らく、真っ先に招集が掛かった事と思います。
被災された方々と意味は違いますが、無事での活躍を祈っています。



3月18日 (金)  例年なら・・

足も軽く、心うきうきと、どこかへ出かけたくなる「春」。
数日前に、福島から娘が元気に戻ってきました。
原発から離れていたといえ、とりあえず一安心しました。

裏の湧き水でカエルの卵がオタマジャクシになりました。
玄関先の巣箱では、お馴染みのムササビがス〜ス〜と寝ています。
今日は綺麗な朧月夜です。

でも、この春は、いつもと違い、何故か落ち着きません。
丹沢では、大きな地震が続いたわりに何の影響もありませんでしたが、東北の自然災害や人災と言える原発の事故を見ると、他人事と思えません。
命がけで活動する自衛隊や警察、消防の方々を見るにつけ、他人事のような企業の幹部、名ばかり政治主導、それに原子力保安院って、何をして給料を貰っている所でしょうか、一番他人事のような人達です。
事業仕分けされなかった事に不思議さを感じます。
一週間経っても避難所への物資救援が遅々とする政治主導なら、最初から自己完結組織の自衛隊にすべて任せた方が、活動がスムースに運んだのでは・・と、思ってしまいます。
私は40数年前に新潟地震を経験しましたが、地震や津波から生き延びた人が、避難所で亡くなると誰が思うでしょう・・。
手伝い一つ出来ませんが、いまだ連絡の取れない知人も多く、せめて暖かい日が続くようにと祈ります。


3月12日 (土)  東北地震

あまりの被害の大きさに言葉もありません。
東北には、友人知人がいますが、連絡が取れたのは娘だけです。
岩手の山田町や宮古の知人とは連絡がとれません。
無事をお祈りいたします。


3月3日 (木)  桃の節句

春は横浜から・・
この数日、「一気に春か・・」と思いましたが、今朝は−5℃、最高気温も3℃です。
三寒四温と言うものの、前日の気温差10℃以上も多く、かえって身体に応えます。
数日前に、裏の湧水でヤマアカガエルがケロケロ鳴いてましたが、産んだばかりの卵に雪が積もっていました。
昨日も今日もカエルは静かです。

今日は桃の節句、娘は雪の福島へ出稼ぎ中ですが、一応お雛さまを飾りました。
他人の娘には、「20歳でも40歳でも、アンタが結婚する日が、アンタの結婚適齢期・・」と言ってる手前もあり、我が娘だけ世間の常識にハメ込む訳にもいきません。
それでも、嫁に行く気配は・・まったく・・と言うほど0に近い娘に多少の期待を込めて、今年は試しに2日に片付けちゃうか・・と思ったほどでした・・。

2月26日は女房の誕生日・・でしたが、忘れていました。
思い出したのは女房に言われてから・・失敗したな〜。
しかし、世の中には、いい加減なダンナと違う優しい人がいる事を実感、クルマから溢れるほどの花束を、「はい、令子さん・・」と、届けてくれたご夫婦がいました。
食堂のテ〜ブルや階段に花の香りがいっぱいで、冷凍庫のような我が家に、ひと足早い春が来ました。

横浜からの長旅に疲れたのか、チューリップが「水くれ〜・・」と言うように、首が垂れています。
札掛の天気に、もう慣れたのか、今日は元気になりました。

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